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映画「新・厚い壁」の上映会を一週間後に控えた早朝、私はテレビの画面に釘付けになりました。
映し出されていたのは、九州の国立ハンセン病療養所で暮らす女性患者と、そのご家族の過酷な歩みを描いたドキュメンタリー番組でした。
語られていたのは、国の隔離政策に引き裂かれた親子の悲劇です。強制隔離された女性は「子どもを産みたい」一心で療養所を脱走し長男を出産しますが、非情にも母親だけが連れ戻され、長男は母の顔を知らずに育ちます。長男が六十歳を過ぎて母の近くへ移り住んだ後、療養所に保存されていた胎児の標本の中に、本来のその男性の姉にあたる長女の亡骸があることが判明します。高齢の母親と長男が、その小さな亡骸と悲しみの対面を果たす姿に、私は言葉を失いました。我が子を抱くことさえ許されず標本として再会せざるを得なかった無念、奪われた家族の歴史の残酷さは想像を絶します。
番組の製作から二十年近くが経ちますが、映画の題材となった一九五一年の事件やこの親子の物語が突きつける人権侵害の重さは今も色褪せません。これらを過去の出来事とせず日常の地続きにある問題として、偏見や差別の根深さを学び続けること。そして二度と同じ過ちを繰り返さない社会を築くために、日常の学習会や暮らしの中でこの受け取ったバトンをどう次へ繋ぐべきか、深く考えさせられる契機となりました。
地続き(じつづき) =土地と土地が海や川などで区切られずに、そのままつながっていること。(WEB辞書より)