奈良県市町村人権・同和問題啓発活動推進本部連絡協議会からのお知らせ
2018-07-02
2018-07-02
2018-06-19
2018-06-01
2018-06-01
2018-05-02
2018-05-01
2018-05-01
2018-04-02
2018-04-02
2018-03-26
2018-03-01
2018-03-01
2018-02-01
2018-02-01
2018-01-04
2018-01-04
2017-12-01
2017-12-01
2017-11-01
(181~200/289件) |
第21回シンポジウム みんなで取り組む!性の多様性が尊重されるまちづくり
「啓発連協」では2004年から毎年、人権問題についてンポジウムを開催してきました。今年は第21回シンポジウムになります。
今回のシンポジウムは、「性の多様性が尊重されるまちづくり」をテーマに開催します。
私たちは誰もが多様な性を生きるひとりです。
性の多様性について一人ひとりが理解を深め、性的マイノリティの人たちはもちろん、すべての人が自分らしく成長し、安心して暮らせる、地域、職場、学校、家庭の実現をめざして、みなさまとともに取り組むきっかけとなることを願っています。
たくさんのご参加をお待ちしております。
2024年第21回シンポジウム チラシ (4480KB) |
パンフレット「みんなが自分らしく生きるために」を作りました
2023年6月「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」ができました。
性のあり方は多様でさまざまで、私たち一人ひとりの生き方にかかわることです。
マイノリティであるかどうかにかかわらず、自分らしく生きることは、誰にとっても大切な人権問題です。
これまでの「あたりまえ」「ふつう」をみんなで見直して、誰もが笑顔で暮らせる社会、お互いの人権を尊重しあえる社会を創っていきましょう。
お詫びと訂正 2024.03.15
パンフレット「みんなが自分らしく生きるために」に誤りがありましたので、お詫びして訂正いたします。
パンフレット中面の左側 画像内
【誤】好きの性(性的施行)
【正】好きの性(性的指向)
本ホームページ内の画像データ、PDFは修正済です。
パンフレット「みんなが自分らしく生きるために」 (3866KB) |
ひとこと
”隙間”からの発想の転換
発想や思考の転換は、どうすればできるのか。日々考えていてもそう簡単にはできないと思います。「啓発連協」が結成されて37年、そもそもこの組織を作ろうと考えた先人の発想や工夫そして行動に今更ながらに敬服します。
「必要は発明の母」などと言いますが、差別や人権侵害がどうしてなくならないのか。
何がこれまでの取り組みにおいて足らなかったのか。何が不十分であったのか。「啓発連協」が作られる前には、喧々諤々の議論があったと当時を知る人たちは言います。そのような過程を経て、今日、行政が中心になって進める「啓発」という分野が確立されて結成された「啓発連協」は、全国でも他に例のないと言われる組織として活動しています。
奈良では、人権について語る時、「啓発・教育・運動」という言葉があります。「啓発連協」が結成されたことにより、この3者の役割がより明確になり、それぞれが連携して活動する意義も大きくなりました。
それにつけても、世の中を変えていくのはどのような人なのか、そこにどのようなエネルギーや経験、また発想や行動力があるのか知りたいと思います。「物事にはどこかに“隙間”があるものだ。それを見つけて広げていけばいい。それが発想であり工夫だ」と指南してくれた大先輩の言葉は今も忘れられないが、その隙間が見つけられないもどかしさを感じながら活動を続けています。
日常の中の「前提」や「暗黙の了解」に少し「はて?・・・」と疑問を持つことがいいのかも知れません。自らが立っているところにヒントがあるかもしれません。
「必要は発明の母」などと言いますが、差別や人権侵害がどうしてなくならないのか。
何がこれまでの取り組みにおいて足らなかったのか。何が不十分であったのか。「啓発連協」が作られる前には、喧々諤々の議論があったと当時を知る人たちは言います。そのような過程を経て、今日、行政が中心になって進める「啓発」という分野が確立されて結成された「啓発連協」は、全国でも他に例のないと言われる組織として活動しています。
奈良では、人権について語る時、「啓発・教育・運動」という言葉があります。「啓発連協」が結成されたことにより、この3者の役割がより明確になり、それぞれが連携して活動する意義も大きくなりました。
それにつけても、世の中を変えていくのはどのような人なのか、そこにどのようなエネルギーや経験、また発想や行動力があるのか知りたいと思います。「物事にはどこかに“隙間”があるものだ。それを見つけて広げていけばいい。それが発想であり工夫だ」と指南してくれた大先輩の言葉は今も忘れられないが、その隙間が見つけられないもどかしさを感じながら活動を続けています。
日常の中の「前提」や「暗黙の了解」に少し「はて?・・・」と疑問を持つことがいいのかも知れません。自らが立っているところにヒントがあるかもしれません。
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